2011-08-30

JFN: 高橋誠之助さんとの対談


この度、民主党の野田佳彦代表が新首相に選出され、新たな政局を迎えるに至った。松下政経塾の第1期生である野田佳彦氏が総理大臣となったことで、塾にとっては創立32年目にして初の総理大臣輩出となる。野田新首相には、8年前、自分が松下政経塾に入塾して1年目に同期全員で議員会館に足を運んでお会いした経緯があり、芯のあるお人柄を感じた印象が強い。松下政経塾では毎年平均で8名前後の塾生が選抜され、32年で輩出されたのが約250名の卒塾生。小所帯ながらも各方面で卒塾生が志の実現に向けて活動に邁進している。

そのような折、本日、同じく8年前の在塾中に関西研修でお世話になった御方に再会。20年にわたり執事として松下幸之助さんと妻・むめのさんに仕え、財団法人松下社会科学振興財団の支配人を務められた高橋誠之助さん。京都の松下資料館でお会いしてより8年。今回は東京で高橋さんをゲストとして番組に迎え、9月後半に2週にわたって全国30のFM局で放送されるJFN『ON THE WAY ジャーナル WEEKEND』の対談パーソナリティとして収録させて頂くことになった。『縁、この不思議なるもの』とは松下幸之助さんの著書名だが、まさにその言葉通りの今日この頃である。

高橋さんは、この度、ダイヤモンド社から『神様の女房』を出版される。経営の神様と謳われる松下幸之助さんの妻・むめのさんに焦点を当てたストーリーで、秋にはNHKでドラマ化される。高橋さんとの対談では、執事という立場だからこそ知り得た数々のお話を伺った。世界に偉大なる遺産を残した松下幸之助さん。そこにあったのは、幸之助さんのロマンを深く共有して自分にとってのロマンとしながら夫を支えた妻・むめのさんの存在。今の政界に起きている変化の源流には、幸之助さんを支えた人生のパートナーむめのさんの存在が確かに息づいていると言えるのかもしれない。

2011-08-28

トランジション夏フェス@藤野


2005年にイギリスで始まったトランジション運動は、今もなお世界各国に広がり続けている。トランジション運動とは、「ピークオイルと気候変動という危機を受け、市民の創意工夫と地域資源を最大限に活用しながら、脱石油社会へ移行していくための草の根運動」。石油依存社会→脱石油依存社会が、トランジション(移行)の名の由来である。この動きは日本にも着実に広がりを見せ、トランジション・ジャパンを中心に活動が展開されている。8/27-28は日本各地でトランジション運動を推進するメンバーが集うトランジション夏フェスが開催され、今年の会場となった神奈川県の藤野に足を運んだ。

ちょうど1年前、実際にトランジションの現場を見てみたいと思ってイギリスのトットネスというトランジション運動発祥の地に足を運んで学んで以来(詳細)、日本ではどのような取組が行われているかについて自身は興味をもっていた。今回の夏フェスでは日本各地のトランジションタウンの取組が紹介され、実に多様な活動内容を窺い知ることができた。それもそのはず、トランジション運動は一定のガイドラインはあるものの、画一的なフォーマットで縛られているわけではない。まさに地域住民が創意工夫で取り組むコミュニティー活動。紹介された活動分野は、農業、エネルギー、地域通貨、住居…と多岐にわたっていた。


例えば、トランジションタウン藤野では、様々なワーキンググループがパラレルに活動を進めている。地域通貨の導入によって、藤野の財源をコミュニティー内にとどめるとともに人々の関係性を構築する。地域内で電力会社を設立して経営するというアイデアが生まれ、具体化に向けて検討が進む。さらに、地域に存在する豊かな森を活用しようと研究が始まる…。このようにして、興味関心をもつテーマに地域の人々が参加し、少しずつコミュニティー活動の基盤が形成されているのである。人口減少時代にありながら、人口1万人ほどの藤野には芸術家や職人の移住が相次ぎ、トランジション活動の広がりにポテンシャルが見られる。

このように聞くと、いわゆる地域づくりに近いのではないかとの印象がある。おそらく、そうだと思う。ならば、日本人にとっては、トランジションという言葉よりも、地域づくりや地域再生といった言葉のほうが理解しやすいのではないかとの見方もある。しかしながら、トランジション運動は、地球規模の環境変化に基づく社会モデルの移行を強く意識しているという点において、活動の方向性がより明確である。さらに、世界のトランジションタウンをネットワークで結ぶ連携が大きな可能性を秘めている。日本の地域の取組の多くが内向きになりがちであることを考えると、世界規模のトランジション運動に学ぶ余地もありそうである。

2011-08-25

アイシティCMナレーション


もともと視力は良くも悪くもなく、基本的には裸眼で生活している。自分の場合は角膜の構造的に乱視のみが際立って強いのだが、脳内補正プログラムを駆使することによって視力0.7前後を保ってきた。ただ、視界に入ってくる歪んだ像を補正して認識するために脳内でパターン分析や音声分析をフル稼働しており、やはり相応のエネルギーを消耗する。一日の終わり頃には視力0.5以下になっているように感じる。そこで、昨年初めてコンタクトレンズを導入し、必要な時にワンデイタイプを使うというオルタナティブを得た。

近所のアイシティでレンズを調達しながら1年かけて慣れてきたところ、まさにそのアイシティさんのTV-CMナレーションを担当させて頂くことになり、本日スタジオで収録を行った。角膜の状態も一人一人異なるため、コンタクトレンズも様々なタイプを取り揃えることが必要だが、今回のナレーションパートは「ひとりひとりの瞳のために」というアイシティさんのC.I.部分。まさに痛感するところでもあり、実感込めて収録させて頂いた。9月上旬までフジテレビで放映されているとのこと。偶然お耳にかかるかもしれない。

2011-08-20

伊勢・熊野・高野山を巡る宗教都市見聞録


人類の歴史には絶えず宗教が深く関わってきた。思想や信条が人々の生活様式を規定し、それに伴って街の姿が形成されてきたと言える。事実、世界には様々な宗教都市がある。それは、宗教を中心に形成された街や集落。日本で言えば、神道都市や仏教都市となる。一方、現代の日本人は無宗教であると言われる。ただ、実際には様々な宗教儀式に参加しており、我々は生活空間に溶け込んだ神社や寺院から何らかの形で影響を受けている。すなわち、神道や仏教という宗教が街の形成に影響を与えるというベクトルだけでなく、神社や寺院を内包する街そのものが人の生活に影響を与えるというベクトルもある。ゆえに、都市設計の上で宗教という視点を欠くことはできない。改めて都市設計の見聞を広めたいと、日本の代表的な宗教都市に足を運ぶ旅路についた。


神道の宗教都市と言えば伊勢である。日本の神々の系譜に関心が強く古事記に学ぶ自分には、やはり今もなお興味深い街であることに相違ない。久方振りの参拝となったが、伊勢神宮は以前と変わらず悠然とした面持ちを湛えていた。外宮内宮と参拝した後、多くの観光客で賑わう内宮前おはらい通りを歩くと、次々と魅力的な食事処や特産品店が目に入る。赤福本店で一服、おかげ横丁で散策、夕方には町家風の五十鈴川カフェで極上の景色とネルドリップ抽出の珈琲を堪能する。この参拝と遊楽の組み合わせが、多くの人々を惹き付ける魅力となっている。単に参拝だけでも味気ない。世俗的な遊楽だけでは軸がない。つまり、持続的に宗教都市を活性化し続けるためには、その両輪のバランスが必要なのかもしれない。ここに、人を惹き付ける求心力の考察に基づいた都市設計という着眼点も見えてくる。


伊勢の滞在を経て、向かうは熊野。日本書紀にも記される古の自然崇拝地である。熊野三山へと通ずる熊野古道の伊勢路を行く。かつて人々は自身の再生を願い、聖地を結ぶ祈りの道を歩いたという。美しい竹林に囲まれた松本峠で七里御浜を一望し、浜街道沿いに佇む伊弉冊尊の御陵たる花の窟を経ると、いよいよ新宮に到着する。色彩豊かで開放感ある社殿の熊野速玉大社、538段の石段と巨大な標石をもつ神倉神社を詣でる。霊性に包まれた夜は、本宮町で最も古い歴史をもつ湯の峰温泉で骨休め。つぼ湯で禊を済ませた早朝に、熊野本宮大社を参拝した。数々の神社の趣深さはさることながら、熊野で印象的だったのは、熊野古道沿いに形成される集落群。旧き良き小さな集落ほど味わいがあるが、同時に過疎も進行している。やはり人口減少時代の街づくりが問われている。


伊勢・熊野を経て高野山へ。山麓の極楽橋からケーブルカーで高野山まで上ると、そこに広がるのは標高900mの仏教都市。弘法大師の諡号をもつ空海が約1200年前に開山してより、高野山真言宗の総本山として悠久の歴史を刻み続けている。壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とした宗教都市には金剛峯寺をはじめ117の寺院が連なり、約半数が宿坊を兼ねる。滞在した宿坊の福智院は美しい庭園や温泉を備え、精進料理とともに静寂なる夜が更けていく。本堂で朝の勤行の後は、奥之院へと通ずる参道へ。樹齢千年を超える杉木立の中に立ち並ぶ20万超の墓石・祈念碑・慰霊碑の数々が参拝者を圧倒する。この仏教都市は、今もなお仏教を中心に街と生活が形成されていた。とりわけ、“参拝する、泊まる、食べる、買う、学ぶ”など、街を活性化する要素の好循環が見逃せない。


伊勢・熊野・高野山を巡り、次第に、ある想念が生まれてきた。宗教とは何か。それは、人が世界を認識するためのOSと言えるのではないか。人は宗教というOSに基づいて世界を認識し、その上で様々なアプリケーションを走らせている。したがって、人々の生活空間というハードはOSに適した形で設計される。これが都市設計。我々日本人は、無意識のうちに神道や仏教というOSをインストールしており、それに準じた生活空間を社会に展開している。ところが、高度経済成長とともにハードの変革のみが先行し、思想や信条の拠り所となるOSを見失いかけてきた。幸いにも日本各地には古来から継承されるハードとOSが残存する。温故知新という言葉に、新たな活路が見え隠れしているように思える。空海の説いた即身成仏の境地とともに、来るべき都市設計を考えてみたい。

2011-08-09

JFN: 浅川芳裕さんとの対談


まもなく東日本大震災から6ヶ月目に突入するが、震災後の農業の現場は一体どうなっているのだろうか。今日の午後は、農業のエキスパートでいらっしゃる月刊『農業経営者』副編集長の浅川芳裕さんをゲストに迎え、今月後半に2週にわたって全国30のFM局で放送されるJFN『ON THE WAY ジャーナル WEEKEND』の対談パーソナリティとして番組を収録させて頂いた。昨年ベストセラーとなった『日本は世界5位の農業大国』を執筆された浅川さんは、先日、文芸春秋から『日本の農業が必ず復活する45の理由』を出版されたばかり。定量的および定性的なデータに基づきつつ、日本の農業の現状を浮き彫りにして具体的な提言にまで踏み込まれているため非常に興味深い。番組では、震災後の農業の現状、日本の農業の展望などについて浅川さんにお話を伺った。

本編はオンエアに譲るとして、僕個人が対談の中で強く印象に残っているのは、都市と農村の関係性についての話。都市に住む大部分の人々は農村でいかにして農業が営まれているのか知らない。これは日本に限らず、発展途上国の都市でも同じ構図をもつ万国共通の事象。しかしながら、いわゆる成熟社会に入っている一部の国々では、都市に住む人々が農村に関心をもち始める段階に入っている。生活上の様々な需要が満たされて行き着く先は“食と美容”。都市に住む人々の中に、食するものを自分で作ってみたいという願望が顕在化しているという。この成熟社会の行方がどうなるのかは分からない。ただ、世界に前例のない社会を切り拓くというワクワク感から、僕は日本が課題先進国というよりは冒険先進国であると捉えたい。