Philosophy

「直感とともに自由に生きながら、天分を発見して活かす社会の創造へ」

    

自分の人生哲学のアルゴリズムを考えると、大前提として、僕は、自分の直感に基づいて自由に生きることを何よりも強く望んでいることを素直に受けとめたいと思う。直感とともに生きるということは、「自分のやりたいことをやりたいときにやる」ということ。あるいは、「必要なときに必要なことを為す」ということともいえるかもしれない。それは、すなわち、心の声に素直に耳を傾けながら、自由に創造的な人生を切り拓くというエキサイティングな瞬間の連続である。僕は、その流れに身を置いて、常にエキサイトメントに溢れた最高の今という瞬間を生きることを大切にしたい。これを素直に体現していくと、活動は散在することなく、むしろ、多様性をもった統一性を描く。つまり、自分のやりたいこと―自分の願望群―を追求していくとき、それらを貫く軸というものが自ずと浮かび上がると思う。

ここで、その願望群の中枢を貫く軸に位置する最も高次のものを究極的願望と定義するとき、僕にとってのそれは、「人の活力を生み出す力になること」。端的に言えば、僕が最もワクワクする瞬間を思い浮かべてみると、みんなで活力全開のエキサイトメントに歓喜する自分がいる。活力とは、人の活動のもとになる力、すなわち、生命力。換言すれば、それは、人を自発的行動へと駆り立てるような、内発的で瑞々しい生命エネルギー。そして、そのエネルギーの源ともいうべきものこそ、夢・希望・ワクワク感などであると思う。つまり、活力という生命エネルギーを生み出すことは、そうしたエネルギーの源を創出していくことに等しい。一人でも多くの人に対してワクワクする生命エネルギーの源を創出し、活力の溢れる社会を創造する力になることができるならば、僕にとってこれ以上のエキサイトメントはない。

一方、僕には、この世に生き長らえる上で常に心に抱き続けている命題ともいうべきものがある。それが、「森羅万象の存在理由・宇宙の仕組み・生命の謎」。我々の一生は、連綿と続く時代のひとときにすぎず、この限られた時間の中で為し得ることもまた限られている。そのような誠に儚き境遇のもと、健気に生きる我々とは一体何者か。なぜ人は生きるのか、何のために生きるのか。そもそも宇宙とは、存在とは何なのか。僕の探究心はここにある。勿論、人が自分の人生に満足して生涯を全うすることができれば、それは誠に素晴らしい。しかしながら、結局それは何だったのかという疑問が僕には残る。僕は、この壮大なる命題を少しでも紐解くことによって、万物が進むべき方向性を見出し、我々の生きる指針に長期的展望に基づく力強さを生み出したいと率直に思ってきた。

この究極的命題を紐解くことは容易ではない。ただ、自分自身が直感とともに自由な生き方を志向すればするほど、「万物は、一瞬一瞬を充実させて、絶えず最高の今を生きることを希求している」という宇宙観を意識せずにはいられない。それは、とりもなおさず、人がその持てる特性を自由な創造性とともに100%発揮して最高のエキサイトメントを享受することである。その行く先には、人だけでなく万物が相互をリスペクトし、無限の創造性を体現した姿を確かに感じる。現時点において、これを証明する科学的論拠を提示することはできない。しかしながら、僕は、自分の直感する宇宙観を素直に受け止めつつ、仮説と検証を繰り返しながら宇宙の普遍原理を探究していきたい。そこで、僕は、「万物がその持てる特性を発揮して最高の今を体現すること」を究極的ビジョンに据えて諸活動を展開するに至っている。

これらを総括すると、僕は、「人の活力を生み出す力になりたい」という究極的願望のもと、「森羅万象の存在理由・宇宙の仕組み・生命の謎」という究極的命題を探求しつつ、「万物がその持てる特性を発揮して最高の今を体現すること」を究極的ビジョンに据えて、あらゆる活動を展開していきたいという意志をもっている。そして、そこから自ずと生まれたコンセプトが、「天分を発見して活かす社会の創造」。天分とは、文字通り、天から分け与えられた才能・資質。それを発見して活かすとき、人は内側から湧き上がるポジティブな活力とともに最高のエキサイトメントを享受し、相互をリスペクトする境地に至る。まさに、宇宙というジグソーパズルの一つ一つのピースを結合して一枚の壮大な絵を創り上げるが如く、僕は、「天分を発見して活かす社会の創造」の具現化に向けて旅を続けている。